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お休み期間のもろもろ 【下がってく編】 [精神科のこと]

 大っ変、ご無沙汰しております…。
 年が明けたら記事を書こうと思っていたのに、旧正月が過ぎ、節分が過ぎ、梅の花も咲き、花粉も飛散しまくりの3月、もう名実共にすっかり春です…。更新滞りすぎです…。冬眠していたわけではありません(したかったけど…)

 実は、1月末から2月の初めにかけて、インフルエンザにかかっておりました[もうやだ~(悲しい顔)]。インフルエンザに感染したのは生まれて初めてのことです。

 軽い咳がでて、風邪引いちゃったのかな~、と思っていたら、微熱→37度半ば→38度超え、と一日の間にみるみる熱が上がっていき、もしやこれはインフルエンザなのでは[exclamation&question]、と思ったら、案の定A型の陽性反応がでました。

 お医者様に、妊娠している、もしくは妊娠の可能性はありますか?、と診察の最初に聞かれました。あと3・4日で生理予定日という時期に罹患してしまったので、「現在妊娠はしていないけど、可能性となると分からない」、と答えました。不妊治療はお休み中だし、積極的にタイミングをとっているわけでもなかったので、妊娠はしていないだろうな、とは思ったのですが、全否定できることでもないですから…。

 解熱剤やインフルエンザ治療薬は胎児に影響がでる恐れがありますが、どうしますか[exclamation&question]、と聞かれました。どーするも、こーするも……。可能性の話なので、なんとも言えないよー、と答えに窮してしまいました。すると先生から「私だったら、もし妊娠していたとしても今回は諦めるでしょうね」とあっさり言われてしまいました[がく~(落胆した顔)]。薬を飲まなければ高熱が続いて妊娠は維持できないし、服用すると胎児への影響が気になるでしょう?、と言われ、全くその通りなんだけど、えーーー[あせあせ(飛び散る汗)]、という感じで…。

 とりあえず薬を処方してもらって自宅でCheck One fastを使って妊娠しているかどうか確認してみました。幸い陰性で、安心して治療薬を服用することができました(ちょっとがっかりしたのも事実でしたが…)

 1週間予定が丸つぶれになったり、熱でしんどい思いをしたり、色々と大変だったのですが、家族計画をするならワクチン打っとこ…、と痛感しました。待ち望んでいた赤ちゃんがもしこんなタイミングでやってきたら、やりきれない気持ちをずっと抱えていたことだろうと思います。

 インフルエンザはもう下火ですが、三寒四温でまだ寒い日もやってきますから、体調にはどうぞご注意ください…。

 



 さて、本題です…。

 昨年秋頃からメンタルが不調で、精神科を受診していました。そのことを含め、不妊治療を休んでいる期間に起きた一連の出来事を記録しておきたいと思います。

 一気に書くと長くなってしまうので、前編として【落ちてく編[バッド(下向き矢印)]、後編として【少しずつ上がってく編[グッド(上向き矢印)]に分けてアップしたいと思います。


【落ちてく編[バッド(下向き矢印)]
 

[8~10月]
 メンタルが不調になった直接のきっかけは、10月に行った自死遺族会でした。
 でもそれ以前の8月に、父に胃がんがあることが分かって、今まで感じたことのない、まるで心筋梗塞にでもなったんじゃないかと思うような、ズッキーンとした胸の痛みを感じるようになっていました。胃の摘出手術は成功したものの、摘出した胃のリンパ節に転移が見つかり、「5年後生存率」は60%と聞かされました。人によって捉え方は様々でしょうが、私にとっては「半分ちょっとの可能性しかないの[exclamation&question]」と思えて、愕然としてしまったのです。

 その後、不妊治療で10月に顕微授精を行い、桑実胚の新鮮胚を移植したものの陰性の結果に終わりました。また命を作ってなくしてしまった、という喪失感を感じていたのです。

 自死遺族会に行ったきっかけは、父の病気のことも不妊治療の失敗のことも、兄の死につながってしまっていると感じたからです。父の死期が近いのではないか、という不安が、兄が死んだ時と同じような思いをまたするのではないか、という恐怖を生んでおり、なくなった卵達の喪失と兄の喪失が重なっているように感じたのです。

 私はまだこの先生きていく予定なのに、全ての喪失が兄につながるようではいけないだろう、と思いました。兄の死とちゃんと向き合おうと決め、何か得るものがあるかもしれない、と思い、自死遺族者の分かち合いの会に行きました。しかし、そこでは作る必要のない、余計な新しい心の傷を作っただけでした……。

 素面の状態であれほどひどく取り乱したことはなかったと思います。大迷惑女でした。でも、参加者の中でお一人だけ、私が会話が出来る状態になるまでずっとそばにいてくれた年配の女性の方がいました。その方から言われた言葉が、今回のメンタルの「底」を抜け出す最初の糸口だったように思っています。

 「精一杯手を尽くしたのに亡くなる人もいれば、ついさっきまで元気だったのに突然亡くなる人もいる。誰が悪いとか、誰のせいとか、そんなことはないの。人の死はね、私達の手の届かないところにある神秘のものなのよ

 自分達の手の届かないところにある神秘、については不妊治療を通して実感していました。受精卵ができるか、着床してくれるかなんて、結局私達には分からない。どうすることもできない。生命の誕生と生命の終わりが「神秘」という言葉で結びついて、私に深い納得感を与えたのでした。兄を「逝かせてあげる」ことが、この言葉でやっとできるようになったのかな、と思っています…。

[11月]
 11月に、心と体を休ませたくて実家に帰省しました。
 しかし、結果から言うと私はこの時帰省するべきではなかった、と思っています。
 私が帰省した頃、両親は2泊3日の国内旅行から帰ったばかりで疲れており、夏に大きな手術を終えた父は一層体力がなく、抗がん剤の副作用で食欲もなく、気分も荒れて横柄で尊大な態度をとっていました。
 母もそんな父をなだめすかし、食べてもらえる食事を3食作らなければならないため、少なからず疲れていました。
 兄の死と向き合うことは、家族と向き合うことだ、ということに私は気づいていませんでした。メンタルが不安定になっている私は家族のことに対してとても敏感になっており、普段より荒れている状態の両親を目にして、「どんなことが起こってもこの人達は変わらないのか」、という勝手な怒りを噴出させてしまったのです(変わっていないのは私もなのにね……)

 本当は実家に帰省した時に精神科の先生に診てもらい、必要な検査をし、薬を処方してもらおうと思っていたのですが、あいにく私の都合と先生の診察の都合が合わず予約が取れなかったため、受診はしないで東京に戻る予定でいました。
 まるで家出をするかのように実家を出て東京に戻った後も、暴力的な態度は身近にいる旦那さんに向けられていました。やはり出来るだけ早く精神科の診察を受けなければと思い、診察の予約をとって再び岩手へ行きました。

 予約の電話をした際、担当の先生とは40分近く話をし、診察も多分小1時間はかかっていたように思います。忙しいのに時間をとらせてしまって本当に申し訳なかった…。
 診察では遺族会の話や両親とのこと、不妊治療のことなど一連の経過を伝えました。加えて、今一度心理検査を受けたいという私の希望も伝えました。以前、統合失調症の前駆状態だと診断されたことがあるけれど、今でもそうなのか疑問に思うことがあったからです。
 しかし、心理検査は事前の予約が必要ということで、この時はできず、脳や甲状腺の検査も希望したのですが、やらなくてもいいだろう、と言われました。
 今の症状が何の精神疾患にあたるのか、探っていくことで私が自分自身を追い詰めていくことになるし、家族計画を同時進行するのであれば、精神薬を使った治療をするよりも、抜けが早く依存性が少ない抗不安薬などで対処した方がいいだろう、ということなのです。また、検査をやったところで私が納得するのかどうか、先生は疑っていたようです…。

 病気ではないのかもしれない、と先生は言いました。私が話す内容を先生は理解できるから、ということなのです……。
 私はメンタルの治療をしながら不妊治療に取り組むために、東京の病院に転院したい希望も話しました。しかし、自死遺族者であるという特殊な事情を踏まえて診察してくれる病院はほとんどないだろう、と言われました。もしくは適当な診断をされて終わるか、どちらかでしょう、と…。
 一応、先生が知っているという、東京のお医者様の名前を教えてもらったのですが、クリニックの名前は分からず、紹介状もなく、次回の予約もなく、病状の確認をすることもなく、ワイパックスという抗不安薬の処方箋だけをもらってその日の診察は終わりました……。

 私は何をしに来たんだろう、という思いと、自分の行き場はどこにもない気持ちに覆われて、ふらふらと盛岡の街を歩いていました。

 その時、店先に貼られていたポストカードが偶然目に入りました。
 

にゃんともだいすき.JPG


 私には旦那さんがいたんだった、と思い出させてくれた。

いのちひとつ.JPG


 やっぱり東京に戻ろう、と思って、新幹線に乗って旦那さんのいる東京へ戻ってきました。


[11~12月]

 しかし、戻ってからも私の中の「暴れん坊将軍」は一向におさまらず、理由のない怒りの矛先は旦那さんに向けられました。暴れるに任せると感情はどんどんエスカレートし、コントロールする術も見つけられなかった…。
 喧嘩の内容はお互いのコミュニケーションのこと、普段の生活のことなど。私が一方的に怒って物を破壊し、旦那さんが謝るもしくはスルーする、という状態が続きました。

 そんな時、一度金銭のことで激しく衝突しました。

 私の精神科の治療は東京―岩手を新幹線で移動するため、とてもお金がかかっていること(一応、帰省に合わせるようにしているのですが…)、ここ数年は不景気の影響で収入が減っていること、不妊治療(東洋医学含む…現在鍼灸も受けています)で高額な医療費がかかっていること、お金の工面については旦那さんのご両親にまで影響が及んでいること、などを話されました。

 さらに、今後しばらくは旅行もしないように、と念を押されました。1年に1回とまではいかないけれど、夫婦二人で出掛ける旅行を私は楽しみにしていました。今はそんな場合じゃないでしょ、ということなんだけど、私の貯えで一人でふらりと出掛ける旅行もしてはいけない、とも言われました。私は旅が好きで、旅に出ることを禁じられるというのは、魂の自由をそがれるようなものなのです…。とにかく、旦那さんにとっては、「旅行=無駄遣い」という図式しか成り立っておらず、何を言っても無駄、という感じでした…。

 結婚してもうすぐ6年、今まで夫婦喧嘩といえば私が一方的に不機嫌になり、旦那さんが一方的に謝る、というパターンがほとんどでした。二人で本音を出して言い合う喧嘩をしたことがなかったのに、気持ちをぶつけ合う初めての喧嘩が金銭についてだった、ということに、なんとも言えない虚しさを感じたのでした……[もうやだ~(悲しい顔)]

 両親と諍いを起こし、旦那さんとも不和になったこの時期に、職場でも変化がありました。育休中だった私の友人が急遽退職することになったのです。友人の旦那様が長期で海外勤務になる、という理由だったのですが、首を長くして彼女の復帰を待っていた私はショックを受けました。
 そして、お世話になっていた上司の方が、定年退職を目前にして他の部署へ異動になる、という出来事もあり、それらと全く同じタイミングで仕事がすっかり暇になっていました。私はフルタイムで仕事をしているわけではなく、アルバイトというか、委託者のような立場で仕事をしています。今の職場を紹介してくれたのはその友人だったので、私も辞めた方がいいんだろうか、と思ったり、上司の方までもが部署からいなくなることで、後ろ盾のような存在だった人達が一気にいなくなる感覚にもなりました。
 (幸い今の上司の方や職場の方の厚意で、クビになることなく、現在も引き続き仕事をさせてもらっています…)

 すること為すこと全てが裏目で、八方塞がりな閉塞感を感じていました。目の前にある自分の人生の道がどんどんすぼまっていって、その内なくなってしまうような感覚に陥っていました…。

 しかし、年の瀬も近づいてきた頃から少しずつ上がっていく日々が始まります。救いようのない夫婦喧嘩が変化していき、自分自身を見つめて、気持ちを整理していく課程を迎えられるようになります。

 今回(というか、最近ずっとかもしれませんが…)くらーい話ばかりになってしまって申し訳ありません…。
 そんなことでメンタル下げるなよ、と思う方もいるかもしれませんが……[バッド(下向き矢印)]
 本当に、ダメなダメ子さんなんです、私…。

 次の記事からは多少明るい内容になる予定です[たらーっ(汗)]。といっても現在進行中で、良かったり悪かったりを繰り返してちょっっとずつ這い上がっていっている感じです。

 心から、春を実感できるようになりたいです……。

 …「少しずつ上がってく編」につづく 


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久しぶりの精神科診察 [精神科のこと]

 お盆はいかがお過ごしだったでしょうか。

 私は実家の岩手へ帰省していました。墓参りなどもあったのですが、主な目的は精神科の受診です[病院]

 2007年10月に統合失調症の前駆状態(なりかけ)と診断され、実家で半年ほど静養していました。その時から通院しているのが岩手医科大学病院の精神神経科です。

 実家にいたころは1週間に1回の通院、それが2週間に1回になり、1月に1回になり、落ち着いてきた頃に生活を東京に戻しました。エビリファイという薬の服用と通院はその後も続いていて、東京で元の生活に戻ってからも3ヶ月に1回は通院のため岩手へ帰っていました。

 そして去年の夏頃から、通院は実家へ里帰りするタイミングでもいい、というOKを頂き、盆と正月の帰省の時に診察に行くようになりました。

 前回の診察は3月。不妊治療を初めて数ヶ月が経った頃で、服用していたエビリファイをゼロにするべく、努力していた頃でした。

 薬は精神科の先生の指示通り順調に減らすことが出来、4月には薬の服用をゼロにできました。しかし、その後ゆり戻しのような症状が現れ、不安感に襲われるようになりました。その時に書いていた記事(長文です…)はこちら

 同時にかなりキツイ肩こり・頭のこりの症状が出、胃痛も抱えていました。精神科の薬を服用する前と同じような症状がでていたのです。

 やっぱり私は薬がないとダメなのか…、と落ち込んでいた時期もあったのですが、症状は和らぎ、身体の症状は今では全くない状態です。

 不安感は先月くらいまで、たまーーに、胸と胸の間から火山のようにこみ上げてくる激しい不安感を覚えていました。しかし、それも今は感じません。気持ちの面でも身体の面でも、大分普通の状態に戻ってきたように自分では思います。

 受診した日、お盆明けの最初の日だったのでさぞかし混んでることだろう、と思ったら全く待たずに名前を呼ばれ、先生にお会いできました。

 ゆり戻しがあったときに一度先生と電話でお話をしたことがあって、私はその時かなり救われたのですが、数日症状が続くようなら薬を再び飲むように、という指示があって以来先生には報告していなかったので、無事に薬無しで過ごせています、という報告をしました。

 身体症状や不安感についても話をし、先生はいつものようにニコニコと話を聞いていてくれました。旦那さんとの休日や仕事についても聞かれ、問題なく過ごしている、と話すと「そうすると、薬無しで4ヶ月生活しているんですね」と確認されました。

 私は先生の口から「では、治療は今日で終わりです!」という言葉が出るのを期待していたのですが、先生は次の予約について話し始めました。まだ病院のスケジュールは決まってないけど、仮で1月4日にしましょう、ということになり、私はちょっと肩すかしを食らった気分でした。

 確かに、まだ4ヶ月しか経ってないんだよね…。もう少し経過をみようということなんでしょうか。先生は「もし精神的に安定しているようだったら、次回の予約は流しちゃってもいいですよ」と最後におっしゃいました。もしかして、治療を終わらせるのも自分で決めろ、ってことなの[exclamation&question] と思いましたが、分かりません…。とりあえず、年が明ける頃まで自分の気持ちを観察して、様子をうかがいたいと思います。

 ここまで回復できたのは、精神病棟での治療を避けるために実家での静養を提案し支えてくれた両親と、半年もの間一人暮らしをしてくれた旦那さん、手の焼ける私に根気強く向かい合ってくれた精神科の先生、理解ある職場の皆さん、励ましてくれた友人やお知り合いの皆さんのおかげです。特に、旦那さんにはどれだけ精神的負担をかけたか計り知れません。命を大切にして精一杯生きていくことで恩返しをしていきたいと考えています。


 不妊の方はというと、排卵と帰省が重なりそう、ということで治療をお休みしていたのですが、運がよければタイミングしたい[exclamation][手(グー)]と思っていたのです。しかし、これといったノビオリさんも現れないまま帰省となり、涼しいところで過ごしていたからか基礎体温も微妙な高さで、いつが排卵だったのかよう分からん状態でした。強いて言うなら、岩手へ移動していた時におしりの辺りにずんずんくるものを感じたので、アレが排卵痛だったのかな[exclamation&question]と思うのですが、分かりません。もしそうだとすると、その日の前後はタイミングとっておりませんで、お休み周期らしく、多分今回もリセットかな~、と思っています…[もうやだ~(悲しい顔)]

 それに加え…。お隣の奥さんが妊娠している、ということに気づきました。ご近所づきあいが挨拶程度しかない我が家なのですが、いつからかお隣の奥さんの出勤風景を見かけなくなっていたのです。今日、たまたまお姿を拝見したところ、お腹がとっても大きくなっているのに気づきました[目]。最近も挨拶したりしていたのに、私、全く気づいてなかったんですね[たらーっ(汗)]。多分、妊娠したからお仕事辞めたのかな、と思いました。

 お隣さんは既に小学校2年生のお嬢さんがいらっしゃいます。きょうだいができるからよかったね~、とは思うのですが…。私が住んでいるところは、10数戸の家が一斉に造成された建て売り住宅です。ほぼ同時期に10以上の家族が引っ越してきて3年ほど経つのですが、その間3軒のお宅で赤ちゃんが生まれ、今度で4軒目です…。(4軒のうちの2軒に我が家は挟まれています…[もうやだ~(悲しい顔)]

 ホント、ここ3年くらい、まるで皆さん申し合わせたように、私の周りは妊娠・出産ブームでして…。まるで、天から赤ちゃんが私だけを避けて周りに降りてきているような、そんな感じがしています。なんだか寂しいです…。私の所にも赤ちゃんは来てくれるのかな…。不安になるけど、ずっと待ってるからねー。


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メンタルの治療のこと [精神科のこと]

 不妊治療と同時に精神科のお薬を飲んでいました。エビリファイという薬です。 

 2007年10月に、大学病院の精神科で統合失調症の前駆状態(なりかけ、グレーゾーン)と診断されました。(以下、長文になります…)

 はっきりと精神が不安定になったのは6年前のことでした。この時は、主にうつ病のお薬を処方してもらい、途中結婚を挟んで約2年かけて治療しました。家族計画をしたい、という私の希望で、治療をやめたのです。心療内科の先生からは「セルシン(抗不安剤)だけでも飲んでた方がいいと思うんだけどね…」と言われたのですが、私はとにかく「薬を絶つのだ!」という意識しかなくて、聞く耳を持っていませんでした。今振り返ると、先生のぼやきは正しかったのかな、と思います。

 それから半年ほど、自分流タイミングで試みてみたのですがなかなか授からず、そのうちに心のバランスが崩れていきました。子供が出来ないのは自分のせいだと思いこみ、自分は生きる価値がない、とすら思うようになっていました。(そんなことないってば~~)

 そして徐々に精神が不安定になっていくのを感じていました。好調なときは何もかも悟り、目の前が開けたようになるのですが、不調になると気分は急降下し、自分が生きているのか死んでいるのかもよく分からない状態になるのです。自分の意志とは関係なく、気持ちの上下の波が押し寄せ、翻弄されていたのです。

 体調も変化していました。結婚したときと比べ体重は7キロ減り、タバコを吸うようになったり、仕事から帰ると疲れて動けなくなったり、胃が常に痛くて食欲がない、体が冷えてしょうがない、など。そのうち、耳鳴りをしょっちゅう聞くようになりました。また、夢と現実の区別がつかなくなるときがあり、一人で勝手に泣いたり怒ったり、旦那さんを相当困らせていました。

 薬や医者に頼らず妊娠したい、と思っていた私は当時渋谷にある鍼灸院(アキュラ鍼灸院)に通っていました。そこで院長先生から、心の不安定さの核となる部分は鍼灸では治せないから、専門家に診てもらった方がいい、と指摘され、カウンセリングの先生を紹介されました。症状がでているので一刻も早く病院に行った方がいい、と、今度はカウンセリングの先生から心療内科のクリニックを紹介されしばらく通院していました。が、気持ちの上下はあまり変わらず、カウンセリングで自分を追い込むことで症状がさらに悪化したりしていました。

 結局、大学病院の精神科に行きつき、病棟に入院することを勧められました。しかし、心配して駆けつけていた両親が、実家で静養することを提案。仕事を休み、旦那さんとも離れ、実家の岩手で半年以上暮らすことになりました。

 実家から通ったのが岩手医科大学病院。私の亡くなった兄もここの精神科に通っており、何か運命を感じました。巡り会ったドクターが素晴しい方で、症状の正体を一緒につきとめましょう、と言われたときには、辛い気持ちを初めて理解してもらえた、と思って号泣してしまいました。

 そのドクターから勧められたのがエビリファイでした。副作用が少なく、この薬で元気になった人をたくさん見ている、と。体への影響が少なく、この薬を飲みながら出産した人もいる、とも言われました。ただ飲み始めに副作用がでることと、世に出たばかりの新しいお薬なので、未知の部分がでてくるかもしれない、とも言われました。かなり迷う選択でしたが、このエビリファイにチャレンジすることを決心。

 しかし、飲み始めると激しい副作用との闘いが始まりました。まず、眠れない。一睡もできない日が何日も続きました。そして自分で名付けた「じっとしていられない病」がおこりました。足が自然と震えたり、落ち着いてじっとしていることができなくなるのです。一番辛かったのが激しい強迫観念。不安感を通り越して燃えるような強迫観念に捉えられました。1ヶ月が経ち、薬の量が増えて12ミリになった頃、これらの症状はぱったりと消えました。以降、嘘のように気持ちが安定し、複数飲んでいた薬の種類もエビリファイだけとなり、順調に経過しているようでした。

 生活を再び東京に戻し、元のように生活できるようになってしばらくしてから、不妊治療を始めました。岩手の先生に、子供ができないことで心が不安定になったと思う、と伝えたところ、いっそ不妊治療をしてみたらどうですか?と勧められたのがきっかけです。病院はアキュラ鍼灸院で勧められた、家からも近いキネマアートクリニックにしました。

 最初の問診の時に飲んでいるエビリファイのことを伝えたところ、そんなに影響のあるお薬じゃないけど、量を精神科の先生と相談した方がいい、と言われました。

 それを受けて、岩手の先生に相談したところ、リスクの選択ですね、という話をされました。薬を永遠に飲み続ければ、精神が不安定になるリスクはない。でも赤ちゃんへの影響が少ないとはいえゼロではない。薬をやめれば赤ちゃんへのリスクを気にしなくてもよくなるけど、精神が不安定になるリスクがある。

 先生からは、治療の舵取りをするのは私です、という話をされていました。先生はあくまでアドバイザーであり、方向を決めるのは患者である私なのだと。はっと目が覚める思いでした。私はドクターに任せきりで自分で治そうという意志がなかったんじゃないか、と思ったのです。このリスクの選択も私自身での判断を求められました。そこで、一生薬を飲むのではなく、お薬を絶って家族計画をする方を選びました。

 それからお薬の減量開始です。12ミリから9ミリ、6ミリ、3ミリ、と、約3ヶ月かけて減らしていきました。そして今月初めに、晴れて0になったのです。

 が……。

 0になってからしばらくはなんともなく、このままお薬とバイバイできるぞ、と喜んでいました。しかし、今回の生理がくる前日頃から、気分がめきめきと低下していくのを感じ、頭痛もおきていました。そして生理が始まると不安感がどっしりと心の中を占めるようになったのです。

 岩手の先生からは、もし調子が悪ければ戻してもいい、行きつ戻りつしてごまかしながら減らす感じでいいから、と言われていたのですが、折角0になったのに、戻りたくない、という意地が働いていたのです。また、0になったら堂々と不妊治療にとりかかれる、とか、残り少ないタイミング治療のことを考えていました。

 しかし生活するのが苦痛になる、と感じ始めていたので、何かあったら連絡してください、という先生の言葉に甘え、先日岩手の病院へ電話しました。つながるか心配だったのですが、つないでもらえて、先生に今の状況を伝えました。結果、数日経っても症状が続くようなら薬を再開しましょう、ということになりました。頼れる人がいる、と実感できて電話で話しながら泣いてしまいました。本当に、この先生に出会わなければ私は一体どうなっていたんだろう。先生は何かあったらまた連絡してくださいね、と言ってくれました。

 先生と話してから気分が落ち着き、不安感が薄らぎました。そしてどうしてまた不安定になったのか考えてみると、やっぱり原因は不妊なのです。私、相当焦っているんだな、と気づきました。焦って自分の心を不安定にしてしまったら元も子もないじゃないか。赤ちゃんは欲しいけれど、自分を大事にしなければいけないと痛感しました。

 エビリファイとのお付合いがこれで終わるかどうか分からないけれど、焦る気持ちに気づけただけでも、自分は少しは進歩したのではないかと思います。たとえまた服用することになっても、薬はいつでもやめられますから、という先生の言葉を信頼して、自分を大切にベビ待ちと治療を続けたいと思います。


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