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お休み期間のもろもろ【少しずつ上がってく編】 [お休み周期]

 3月10日に「【下がってく編】」の記事をアップして、少しずつ上がっていけるようになった経緯を書く予定でいたのですが、記事をアップした翌日に大震災が起き、結局また下がってしまったので、なかなか【少しずつ上がってく編】を書けずにいました。

 これまで良かったり悪かったりを繰り返しながら心の整理をつけてきて、ずっと良い状態でいる、ということはありませんでした。震災で下がって、でもまた「上がっていける」という気持ちを持てるようになったので、気持ちの整理をつけていく中で気付いたことなどを記録したいと思っています。ただ、心はとても複雑で、何か一つのことに思い至ったからすっきり解決した、ということはありません。しかも現在進行中で、私はまだ自分の心についていろいろ彷徨っている最中でもあります。

 以下、非常に長文ですが、お時間がありましたら、ご覧いただけますと幸いでございます。。。

 最初に学んだことは、メンタルの調子が悪い時がきても、じっと耐えることができる、ということでした。良かったり悪かったりを繰り返す中で、「もういい加減疲れちゃったな~[もうやだ~(悲しい顔)]」、と思う日々がありました。旦那さんが出張でいない時に「悪い時期」がやってきた時があって、どうしよう、と思いつつも、嵐[台風]が過ぎ去るのをじっと待つような気持ちで、ひたすら耐えていたことがありました。何日かすると確かに嵐は去っていって、いつも通りの生活を送ることができていました。辛い状態は永遠に続くわけじゃない、という確信と、乗り越えられるという自信を得たような気がしました。

 10・11月の出来事の後、兄の死を見つめる作業をしていました。正確には、兄の死にかかわる一連の出来事と、自分と家族・周りの人たちとの関わり、自分自身の気持ちの変化について見つめていたのだと思います。

 精神科の先生から、余裕があったら読んでほしい、と言われていた本がありました。訳者自身がグリーフ(死別などの悲嘆)ケアのカウンセラーで、中身もしっかりしている本だから、という理由です。

「大切なもの」を失ったあなたに―喪失をのりこえるガイド

「大切なもの」を失ったあなたに―喪失をのりこえるガイド

  • 作者: ロバート・A. ニーメヤー
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2006/10
  • メディア: 単行本

 この本を読んで目から鱗に思ったのは、「喪失」は死別だけを指すのではないということ。失恋や離婚、転居、失業、転職など、自分のアイデンティティーの一部が欠落することをすべて「喪失」として取り上げていました。
 私は小さい頃から、父の仕事の都合で転居・転校が多かったのですが、それぞれの別離についてちゃんと向き合うことをしてこなかったように思います。小さな痛みも放っておかず、向き合うことが大事なのだ、と実感しました。

 また、この本で気付いたのは、グリーフから立ち直る過程は能動的なものである、ということです。喪失を体験した後、自分のアイデンティティーや人生の「ナラティブ(物語)」を書き換える必要があるということ。喪失をきっかけに、自分自身を変化させていこう、という、アメリカ的なポジティブさを感じました。

 その「意味再構築」の過程のために様々なイベントが紹介されているのですが、私も何かやらなきゃダメ[あせあせ(飛び散る汗)]??と思わせられる部分があったので、他の同類の本を読んでみました。

 

死別の悲しみを癒すアドバイスブック―家族を亡くしたあなたに

死別の悲しみを癒すアドバイスブック―家族を亡くしたあなたに

  • 作者: キャサリン・M. サンダーズ
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2000/03
  • メディア: 単行本


 これは著者自身がトラウマを伴う死別を体験していて、しかもカウンセラーでもある、という本です。悲しみにはいくつかのフェーズ(段階)があって、その時々の悲しみと向き合い、段階を経ていくことで、悲しみは乗り越えられる、という内容です。

 悲しみの「第三段階」としての「ひきこもり」と、10章に書かれている「家族全体の悲しみ」について、特に共感する部分が多かったです。訳もなく沸き起こってくる怒りの感情や暴力性について、「あなたは頭がおかしくなったわけではないのです」と繰り返し書いてあって、思わず涙がこぼれそうになりました。精神科の先生が「病気ではないのかもしれない」と言っていたのが思い出されました。

 この本を読んで得た気持ちはたくさんあるのですが、主なものを以下に挙げておきます。

・過去でも未来でもなく、今を大切にする
・意図しないで訪れる出来事を感謝して受け入れる
・自分の人生をコントロールしようとしない
・自分と身の回りのことに愛情を注ぐ

 自分を大切にしようという気持ちと、生きている世界に安心して身を委ねる気持ちを持てるようになりたい、と思ったのです。

 また、最終章には悲しみを繰り返して生きていくことの意義、のようなことも書かれてあって、深く心に残りました。

 この本も先の本と同様、アイデンティティーを変化させることで悲しみを乗り越えることが大事だと説いています。子を失った親、夫をなくした妻、など、紹介例はあるのですが、兄をなくした妹(しかも自死で)というのは一例もなかった。世間での立場が変わる、というあからさまなものではないけど、やっぱり私には私なりのアイデンティティーの変化が必要だったのだ、と悟りました。多分、私は元々他人に対する依存性が強くて、自我境界の薄い子だったんだろう、と思います。私に強い影響を与えていた兄がいなくなって、私は自分の弱い部分を克服する必要があったのだと思います。でもそのことに目を向けずに今まで生きてきてしまったのでした。

 「悲しみを乗り越える」というのは、悲しい気持ちが薄らぐことで、それは一生無理なことだと思っていた。でもそうではなくて、悲しみを通して自分を変化させることなんだ、ってやっと理解することができました…[ふらふら] (頭悪いよ、本当に…)

 この本は最初図書館で借りて読んでいたのですが、最終的に購入しました。今後大きな悲しみがやってきた時に、立ち直ることができるフェーズがあることを忘れないよう、手元に置いておきたかったからです。お守りのようなものですね…。

 2つの本に共通して、故人のことや自分の感情を誰かに積極的に話すことが大事、と書かれていました。それが必要だ、ということは私自身もずっと前から思っていました。でも、兄と兄の死のことはこれまで極力他人に話さないようにしなくてはならないことでした。家族の中でさえ兄の話をすることは殆どなくて、父の前ではいまだにタブーですらあって、兄のことや自分の感情を話すことで、家族の感情を今さらほじくり返すことはナンセンスだと思ってたのです。
(でも、でも、そうやってまるで兄の存在自体がなかったかのように、私自身や家族がふるまっているのを、私はずっと耐えられないでいたんだ。。。!!)

 誰かに話して、悲しい気持ちを2010年に置いてしまいたい、と思いました。相手は夫婦喧嘩を繰り返していた旦那さんしかいなかった。当時私はまだ荒れている時期で、二人の生活のことやコミュニケーションのことで大ゲンカをしたばかりでした。兄のことと何の関係もない旦那さんを巻き添えにして、不快な思いをさせることに抵抗があったけど、大晦日の晩にお願いしました。何のコメントもアドバイスもいらないから、ただ話を聞いてほしい、と。旦那さんは抵抗やプレッシャーを感じつつも受け入れてくれました。そして同じ涙を流して私の話を聞いてくれた…。

 私はただヒストリーを話しているつもりだったけど、今現在はどうなのか、ということを話す段になって、自分の考えを整理することができたように思います。旦那さんと共通した意見は、私は自分をゆるす必要がある、ということでした。

 具体的に自分をゆるす過程は瞑想チックなことをするようになってから始まったと思います。

食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書

食べて、祈って、恋をして 女が直面するあらゆること探究の書

  • 作者: エリザベス ギルバート
  • 出版社/メーカー: 武田ランダムハウスジャパン
  • 発売日: 2009/12/17
  • メディア: 単行本

 



 瞑想チックなことを始めたきっかけはこの本でした。 30も半ばを過ぎて、自分が未熟であるという意識を持っている人が他にも(しかもアメリカ人で)いた、というのが意外だったのです。色々と自分と共通点の多い主人公(=著者)の魂が成長していく過程を辿る中で、著者が実践していた瞑想が私にとっても必要なものなのではないか、と思えたのです。

 誰かに教わったわけではないので、超自己流ですが、ただ胡坐で座って、なんとなく手を膝の上に置いて、深く呼吸をするようにしています。目を閉じて、自分の心の状態を確認しています。始めた頃は私の中にいる「子供の私」に呼びかけるようにしていました。悪さを働くのはそいつだろう、と常々思っていたからです。一緒に生きていこう、と呼びかけると頭の中がぐるぐると回転するのを感じました。
 
 また、瞑想的なことををしているうちに、私の細胞の一つ一つを満たすように、「私を責めている私」が存在することにも気付きました。「潜在意識」というものなのかもしれません。そいつは母の姿で夢に現れてくることも分かりました。両親と仲違していた頃には、ストレートに「謝れ!」と夢で私に言ってきました[たらーっ(汗)]。兄が死んで7カ月後くらいに通夜の晩の夢を見た時には、「T(兄の名)でなくて、おめぇが死ねばよかったのに」と言っていた。私は長年、それが母の本心なのだろうと思っていたけど、そうではなくて、「お兄ちゃんが死んで、なんでお前が生きてるんだ?」って、私が私を責めていたのだ。
 そのことに気付いた後で、また母の夢を見た。お前は私のことを責めているのか、とそいつは言った。私は誰のことも責めたくない、と答えた。特に私のことはもう責めたくないんだ、と言って、その夢はそこで終わっていた。

 「私を責めている私」の存在に気付いた後も感情の上下はありました。『食べて、祈って…』の本の中にヒントがあったのですが、消し去られることを恐れる自我が悪さをするのだ、ということにも気づきました。だから、瞑想をする時に、無意識の私も、子供の私も、全部が私の一部で、どの私も大切なのだ、と言い聞かせるようになりました。愛しているから、決して排除しようとしたりしないから、受け入れているから、……という感じです。

 「自分をゆるす」という意味が分かりかけてきて、なんとなく体調も良くなってきたかなー、と思っていた頃に大震災が起きました。岩手の内陸にある実家は携帯のメールで震災の日に無事が確認できたけど、沿岸に住んでいる親戚や友人の安否はすぐには分からなかった。最終的に、宮古市にある母の実家で一人暮らしをしていた叔父が遺体で発見されました。馴染みのある町が跡形もなくなっている様子、津波で流された母の実家、そして叔父の死、と、まるで夢でも見ているんじゃないか、と思うような、信じられない感情に押し潰されそうになっていました。

 叔父の遺体が見つかった、という連絡が私にだけ知らされなかった、ということもありました。両親(というか母親)の心情と、色々偶然が重なったことに因るのですが、それは兄が精神病棟に入院したことが故意に私にだけ知らされず、兄本人が病院からかけてきた電話で事態を知った、という出来事を思い出させました。あの時のショックと、憤り、不信感などが甦ってきて、この人たちはまた私に同じことをするのか、と思い、それはとても暴れてしまったのです…。

 自分でもどうしてそんなに暴れてしまうのか分からなくて、気持ちを落ちつけて考えてみると、叔父の死の連絡が遅延したという事実よりも、過去の出来事に対して自分が上乗せしてきた感情による、ということが分かりました。自分が長い年月をかけて上塗りしてきた感情が如何に屈折したものであるか、再認識させられた思いです。

 だから、私は今現在起きている震災後の経過を気をつけて過ごさなければならない、と思っています。死別や悲しい事実に必要以上の感情を植えつけないよう、気をつけなければなりません。3月11日が一生忘れられない日になるのは間違いないけど、トラウマにしてはいけない。TVで壊滅した被災地の映像が流れると今でも心が泣くけれど、必要以上に悲しみを染み込ませてはいけない。兄の死と向き合って気づいたことを今に適用させようと努力しています。
 

 もう一つ、現在進行形で気付いたことを書いておきます。
 瞑想が自己流でいいのか分からなくて辿りついたこの本 ↓ で気付いたこと。
 

考えない練習

考えない練習

  • 作者: 小池 龍之介
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2010/02/09
  • メディア: 単行本

 本の中身は仏教の視点によるものですが、はっとさせられることが多かった。脳は刺激を求めたがるものだということ。悲しい・辛い気持ちによる強い刺激が大好き。私の脳は間違いなく刺激ジャンキー。こいつをなんとか更生させなければと思っています。
 また、事実はあくまで事実であって、そのことに対する感情は自分が決めているのだ、ということも心に留めたいと思っています。客観的に事実を見て、淡々と受け流す、という、私が最も苦手とすることができるように、努力したいと思っています[あせあせ(飛び散る汗)]

 色々と本を紹介したついでに…。

人生の言い訳

人生の言い訳

  • 作者: 高田 純次
  • 出版社/メーカー: 廣済堂出版
  • 発売日: 2010/02/26
  • メディア: 単行本

 高田純次サンの本も、前を向く気持ちになれたと思います。実は結構苦労をされていて、お母さん思いの人でした。「止まない雨はないよ」という言葉が胸に残っています。文体はひょうひょうとしていて大上段ではなく、おかしくて思わずふいてしまうところもあり(文字も大きく薄いので[たらーっ(汗)])、1日もあれば読んでしまう感じでした。勇気もらえたと思うし、こんな人が身近にいたらなーって思いました(^^;。


 最後に亡くなった叔父の思い出を残しておきます。
 今年の元旦の朝9時頃、叔父から電話がありました。「お姉ちゃん(私の母)のところに新年のあいさつで電話をしたら、○ちゃん(私)が赤ちゃんできなくて元気なくしてる、って聞いたもんだから」と言って、年賀状に書いておいたうちの電話番号を見てかけてくれたのでした。「○ちゃんにはマリアさんがついてるからサ。大丈夫だから、心配しないで[exclamation]」と励ましてくれた。声が元気そうだから安心した、と言って、最後に「年賀状、おおきにね」、と電話を切った。私は「相変わらず突拍子もない人だな~[たらーっ(汗)]」とだけしか思わなかった。心配してくれてありがとう、って言えなかった。叔父との最後の会話だったのに。

  事情はよくわからないけど、叔父はずっと独身だった。新しい家族が欲しい、と思う私の気持ちを応援してくれていたんだと思う。(叔父とのことをちょっとだけ書いた過去記事があったのでリンクしておきます→ 「リセットと精子凍結と敬老の日」:2009年9月 記事の最後の方に書いてます…)

 浮かんでくるのは叔父の笑顔だけです。いつもニコニコ(というか、ニカニカ[わーい(嬉しい顔)])笑っている人だった。ご遺体が余りに多くて、葬儀ができるのは6月以降、と言われていたのに、寺の都合で急に決まった葬儀に私は行けなかった。でも、葬儀のあった日、宮古は快晴だった、と聞いて、きっと叔父は天国に行ったことだろう、と思っています。叔父の死と、破壊された町々から、自分を新たにしていこうと思っていますし、三陸の町も新たになって復興していくことを信じています。

 

 長らく不妊治療をお休みしていましたが、花粉の飛散がおさまった頃(多分5月中ごろ)に再開したいと思っています。凍結保存している卵をお迎えできるくらいに気持ちの整理がついてきて、体調を整える準備ができる余裕も生まれ、悪い結果になった時の気持ちの持ちようについても準備ができそうだと思っているからです。

 このお休み期間に兄のことや自分のことを見つめて、兄の死と結びつかない、純粋に幸せだと思える自分の家族が欲しい、と思うようになっていました。自分の実家が不幸だとは決して思わないけど、兄のことによる悲しい記憶が消える日はありません。悲しい記憶と直接結びつかない、心から幸せだと思える自分の家庭を持ってみたいのです。できれば伴侶と自分の間の子という形で。
 「家族」には色んな形があるはずだ、と自分に言い聞かせてきました。夫婦二人だって家族だし、ペットも家族、ご縁があれば養子を迎え入れて家族、という形もある。でも、出来ることなら夫婦の間の子供を授かって家族になりたい。可能性が望める限りは、諦めないでその希望を叶えていきたいと思っています。

 お休み期間に得た感情を忘れずに、不妊治療を続けていきたいと思っています。
 この手の過去話を記事にするのも最後にしたいなー…[たらーっ(汗)]
 
 おもーーーく、ながーーーい、お粗末な文に最後までお付き合いいただいて、ありがとうございました!m(_ _)m。 がんばりますよん[手(グー)]


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治療のロングバケーション [お休み周期]

 なかなか更新できずじまいでした…。そうこうしているうちに、花屋さんの店先にポインセチアの花が並ぶようになって、年の瀬の足音が聞こえてきました…。

 陰性に終わった顕微授精周期の後、完全お休み周期を過ごし、そしてまたリセットを迎えました。
 次回の移植をいつにしようか迷う気持ちはあったけど、1周期休んだら次にチャレンジしようかな、という気持ちにもなっていました。でも、リセットになるちょっと前から、自分は永遠に母親になれる運命にはないのだ、というネガティブな考えが心を占めるようになって、なんとなくメンタルが不調になってきている気配を感じました。

 こんな心の状態で卵さんを迎えるのはよろしくないだろう、と思い、やっぱりもう1周期休んで、その次の周期に移植に臨もう、と決め、D3にクリニックへ行きました。

10/26(火) D3

 血液検査をお願いしていたので、採血が先。1時間ほど待って、出てきた結果は、
 FSH:14.0、LH:3.6、E2:94.9。

 じゅどーーーん、と、頭を何かで打ち抜かれたような気がしました。
 あんなに頑張ってFSHを一桁にして、急上昇しないように黄体補充にも気をつかっていたのに、やっぱりまた元の数値に戻ってしまった…il||li _| ̄|○ il||li。 DHEA様のパワーはいずこへ…。

 採卵をした周期の良い感じの流れや、FSHが一桁という夢のような周期が、もう二度と来ない幻のように思われました…。

 ちなみに、エコーの検査もお願いしました。左の下腹部が痛むことがあって、それも「仲良し[ムード]」のあとに痛むことが多かったので、念のために見てもらいたかったのです。
 卵巣も特に問題なく、可動性もあるので大丈夫、とのことでした…。

 融解移植の話になり、できればもう1周期休みたい、という旨を先生に話しました。すると、先生からは「うーん…」と歯切れの悪い返事が返ってきました。次の次の周期の始まりと移植の日をおおまかに推測していくと、妊娠判定と胎嚢の確認がクリニック移転に伴う休みの日と重なってしまう、というのです[目]

 キネマは年末年始にかけて、新しく出来たお向かいのビルに移転することになっています。通年は年末最後の週から1週間の休みになるそうなのですが、今年は移転があるということで、早めの12/20から年始の1/4まで休みになるのです。

 そのお知らせを確かに院内で見ていたのだけど、まだ先のことだと思って自分の周期のこととリンクさせていませんでした。お馬鹿な私…[もうやだ~(悲しい顔)]

 中間判定は出来るし、ちゃんと着床していたら妊娠判定も胎嚢の確認もなくたっていいのかな、とは思ったのですが、微妙な状況の場合、ケアが全く受けられない、というのは避けるべき事態のように思われました。

 しかも、そのまた次の周期の始まり(貼り薬を始めるD3頃)までクリニックの休みがかぶるので、もう1周期休もうと思ったら、次の移植は早くて1月後半ということになります[がく~(落胆した顔)]。そこまで長く休むつもりはなかったんだけど…(+_+;)。
 もしくは今周期に移植をするか、どちらかですね、と言われてしまいました。1月後半まで待つか、すぐに始めてしまうか…。どっちも気が進まない……[ふらふら]

 今の心の状態を思えば、絶対休んだ方がいいんだけど、移転後のクリニックの真新しい、私にとって不慣れな採卵室(手術室)が、新たなストレスになるんじゃないか、と思ったり、凍結中の卵が引越し作業中の何らかの事故や手違いで融解し、ダメになってしまうんじゃないか、と思ったり……。

 今凍結保存している卵がもしダメになってしまったら、多分もう生きていけないくらいのダメージになりそうです…。だって、再びFSHが2桁になった今、刺激ができる周期は二度とこない可能性もあり、二度と凍結卵を保存できないかもしれないからです……(T_T)。

 結局、その場では決められず、家に帰って考える猶予を頂きました(ほんっと、優柔不断…[もうやだ~(悲しい顔)])。D5までなら貼り薬の治療が間に合うそうなので、D5の日に一旦予約を入れて、今周期移植をすると決めたら治療開始、1月にするなら電話でキャンセル、ということにしてもらいました。

 家に帰って、まだ悶々として決断できなかった私は旦那さんに相談しました。
 「pawpawは最近、なんだか調子悪そうに見えるよ」、と言われ、1月後半まで休んだっていいのかもしれないよ、と諭してもらいました。無理に移植を急ぐことはないし、体と気持ちが落ち着いてからの方が卵のためにもなると思うよ、と言ってくれたのです。私の体と凍結中の卵を同じように考えてくれていて、なんだかとても嬉しかったです…。

 旦那さんなら、ほんの3分で決断できることなんですが…[たらーっ(汗)]
 翌日、電話で予約をキャンセルし、年始以降の移植を考えている旨を伝えました。

 ということで、本意ではなかったのですが、数ヶ月間治療をお休みすることになりました。
 これが「神様が与えてくれた休み」になるかどうかは、分かりませんが……。

 

 で、治療のことを何も考えなくていい周期を迎えていたのですが、予想通りメンタルの調子が最悪になっていました。胸の辺りの痛みがひどく、深呼吸を繰り返してやり過ごしていたのですが、おさまったと思ったらぶり返したり、という状態でした。
 
 先日の遺族会での出来事が、未だに私の心の中でさざ波を立て、影を落としているのは確かでした。そんなこと、deleteキーで消しちゃえばいいんだよ、って旦那さんには言われるのですが、どうも私の脳はおもいっきりアナログで出来ているらしく、消しゴムで消そうとしたら「真っ黒消しゴム」(消すとかえって紙が黒くなっちゃう消しゴム…)だった、みたいな状態になってしまっていたのです[もうやだ~(悲しい顔)]

 自我が崩壊していくような感じまで覚えるようになって、実家の方の精神科の先生にSOSの電話をしようか、真剣に悩みました。でも、結局「薬を飲んで」と言われるんだろうな~、と思い、電話はできなかった…。もう、精神科の薬を飲む生活には戻りたくないのです[もうやだ~(悲しい顔)]

 脂汗をかくように涙が出てきて止まらなかったり、もう消えちゃいたいなー、と思うこともあったのですが、そんな時ふと凍結中の卵のことが思い出されて、後ろ髪引かれるような気持ちになりました。心中しようとしている母親が我が子を思う気持ちってこんな感じなのかな~、と、また馬鹿なことを考えたり…。私の場合、卵は卵であって、まだ「子ども」になってくれてもいないのですが…[たらーっ(汗)]
 でも、私のお腹に戻したら卵は命が絶えてしまうかもしれないけど、凍結されたままなら永久に生き続けられるんだよなー、と思ったりもしました。その方がかえって卵のためなのではないか、と思ったり…。

 などと、どん底まで落ちていたのですが、なんとか凌いで、乗り切りました。まだ不安定だけど、今は大分良くなっています。

 こーんなストレス抱えていたら、そりゃ体も心もおかしくなるよ…、と、実感しました。自分を癒そうと決めたものの、傷とガチで向き合ってみたら、組んではいけない相手とがっぷり四つに組んでしまったような、開けてはいけない扉を開けてしまったような、そんな「手に負えない感」をたっぷり味わってしまいました……。

 本格的に、ちゃんと自分と向き合って、自分を休ませるためには、何もかもお休みにして湯治[いい気分(温泉)]でもしたほうがいいんだろうなー、と思いました。
 幸いというか、なんというか、仕事が今月からぷっつり暇なので、休みを頂いて1週間ほど実家に帰ることにしました。宿を2泊とってもらったので、そこで温泉に浸かりたいと思っています。宿は母と2人きりで泊まることになっており(父はお留守番…)、どーなることか、と思ったりしています(^^;。

 仕事のことを言えば、どうもこのままクビになりそうな気配を感じています。
 今年の春、上司の方が替わられてから、いつかはこの日が来るんだろうな、とは思っていたのですが、そろそろ現実になりそうです。
 それならそれで、本当に休みモードに入ってしまって、考えが落ち着いた頃に職探しをすればいいかな、と今は思っています。

 

 …空気も乾燥して、ぐっと冷え込む日がでてきました。どうぞお体ご自愛ください…。 


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完全お休み周期 [お休み周期]

 休み周期にしているのをいいことに、更新が滞っています…。

 妊娠判定で陰性になった翌日から、本格的に生理の出血が始まりました。
 黄体補充のデュファストン&プレマリンを服用していても不正出血が止まらず、妊娠判定の日には経血のような出血まで出ていて、ちゃんとした生理が来るのか心配していました。一応、体がリセットしてくれて一安心です…。

 薬を服用し終わって1週間後に血液検査をしホルモン値を見る、ということになっていたので、D7の日にクリニックに行ってきました。

10/5(火) D7

 先に採血をしたのですが、看護師さんも何のホルモンの検査をするのかよく分かっていないみたいでした…。私もよく分かってなかったので、戸惑っちゃったんですが…。

 1時間ほど経って出た検査結果は、FSH:8.7、LH3.9、E2:150
 ホルモン剤をたくさん使用したことで、今周期はFSHが上がってるんじゃないか、と思ったのですが、なんとか一桁をキープ。デュファストン&プレマリンの組み合わせなら、FSHが急上昇しないことが分かりました。

 既にD7だったのですが、先生曰くD3に相当する、ということでした。どうしてD3に相当するのか、全然分からなかったんですが…。

 E2が高い、ということで、エコーで卵巣のチェックをしてもらいました。
 前周期の残りと思われる卵胞は見あたらず、12㎜くらいの卵胞がいくつか見えただけだったので、特に問題ない、と言われました。

 改めて、休みを取りたい旨を話して、融解移植をする時のことを少し伺いました。

 気になっていた、「孵化中」での凍結は、「問題ない」とのことです。
 融解移植の時はAHA(アシステッド・ハッチング:卵の膜を少し破って着床しやすくする)を行うのだそうで、いずれの段階でも「孵化中」とあまり変わらない状態になるそうなのです。

 凍結できても融解したらダメになった、というケースもあるんですよね?、と質問してみたら、9割方は大丈夫、というお話でした。全ての胚が融解に耐えられるわけではないので、100%ではないけど、9割は凍結→融解に耐えているそうです。うちのスローペーサー卵さんも、耐えてくれるといいな~…。

 今回、移植は普通に出来たけど、次回も同じようにすんなりいくとは限りませんからね、とちょっと釘を刺されました[たらーっ(汗)]

 移植をすることを決めたら、D3までに予約を取って、まずホルモンのバランスをチェックし、薬で調節して移植にするのか自然で移植にするのか決めるそうです。私の場合は黄体補充をがっちりしなければならないので、薬で調整する方向でお願いしています。
 ちなみに、ホルモンのバランスが乱れている時は、強制的に薬で調節する移植になるそうです…。

 休みの間、AIHしますか?、と聞かれたけど、完全に休みにすることにしました。不妊治療や赤ちゃん待ちから、頭も生活も完全に切り離したかったのです。
 基礎体温はつける予定でいたので、もし3週間経っても高温にならないようなら、排卵がおかしくなっている可能性があるので連絡してください、と言われました。

 次回の予約はお電話で、ということを会計時に確認し、クリニックを出ました。
 しばらくお休みです…[眠い(睡眠)]

 

 その後、休み周期に入ってから、体調がとても悪くなりました。
 以前と同じように、食前に漢方が飲めなくなったのです[もうやだ~(悲しい顔)]。食前に飲むと胃がきりきりして…。便も毎日下痢……。(汚い話でごめんなさ~い[あせあせ(飛び散る汗)]

 不思議なことに、胃腸の調子が悪くなると、最近感じなくなっていた様々な不調(肩・首・頭のこり、目の疲れ、疲れが全然とれない感じ、など)が同時にやってくるのです。

 基礎体温ものグラフも、今までにないような形になってます…。ウソ発見器みたいなガクガクっぷりです。幸い、最近それなりに高温が出るようになったので、大きな問題はないのかな~、と思っていますが…。

 私の体、本当に大丈夫なんでしょうか??

 

 前回の記事を書いた後、休みの機会に「兄の死」とちゃんと向き合った方がいいのではないか、と思いました。
 私は兄を自死でなくしています。16年も前のことです。
 向き合う、といっても、何をどう見つめていいのかよく分かっていませんでした。自死遺族の集まりに顔を出してみたら、古傷が大量出血を起こすような思いをしてしまい、行かなければ良かった、と本当に後悔してしまったのですが、一人の方から言われたことで地に足がつきました。

 人の死も神秘だということ。
 誰が悪かったのでもないし、誰が決められるものでもない。私達の手の届かないところにある、神秘なものなのだ、ということ。
 移植の度に失っていた命がどうしても兄に通じていた。命の誕生も、命の終わりも、「神秘」という言葉でつながって、観念や諦めとともに、私が佇んでいた岸辺からゆっくり沖の方へ離れていったような気がしました…。

 会に参加して、自分の持っている傷が自覚しているよりもずっと深くて、たちが悪いということが分かりました。こんなものを抱えて、どうやって生きていっていいのか、しばし途方に暮れました。
 行き着いた答えは、ひたすら癒していくしかないのかな、ということ。真に私に必要なものは、癒しだったのかもしれません。

 心のどこかでずっと、兄から「僕の死をみつめてほしい」と言われているような気がしていた。それがどういう意味なのか全然分からなかったけど、もしかして兄が私に伝えたかったのは、「おまえ、もっと自分を癒さなきゃだめだよ」ということだったような気がして、妙に納得してしまったのでした。
 兄の魂の本質。本当に優しい人だった……。

 ありがとう。苦しかったはずなのに、私のことを心配してくれて。
 ごめんなさい。お兄ちゃんのメッセージ、私、今まで全然気づかずにいた。
 「ありがとう」と「ごめんなさい」の気持ちが交互にやってきました。

 赤ちゃん待ちをしていることとは全く別にして、自分をもっと癒す努力をしようと思いました。
 でも、そのことを抜きにして、私が新しい命を授かり、子育てをしていくのは、難しいことだったのかもしれません。不妊治療の前にやるべきことをせずに、今まできてしまったのかな、と思います。

 ちゃんと自分を癒すことが出来ている、と自覚できるようになったら、凍結している卵さんをお迎えしたい、と今考えています。それがいつになるのか、全く分からないし、自分で「よし、OK!」と区切りをつけるのがどのタイミングになるのかもよく分からないのですが、休み周期に入る前に考えていた「11月に移植」に、こだわったり焦ったりする必要もないのかな、と、今は考えています。

 たとえ休みが長くなったとしても、更新は時々続けていきたいと思っています(^^;。



おもーーい話になってしまって申し訳ありませんでした…m(_ _)m。 


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お休み周期&DHEA [お休み周期]

 リセットを迎えて、既に新しい周期の後半に入っているのに、ずっと更新をサボっていました。ワールドカップも決勝トーナメントに入りましたね。私が観戦すると負けてしまいそうなので、日本戦はライブで観ないようにしています[もうやだ~(悲しい顔)]…。 

 前回の周期、リセットになるのを待つばかり、という状態だったD31、プラノバールを飲み終わって4日後に生理が来ました。

 リセットになる何日か前から、次の周期は休みにしよう、と決めていました。
 次の採卵・移植へ向けて頑張れる心の状態じゃなかったことと、体調がいまいちだったからです。発作的に起こる不安感はなくなってきていたけど、早朝覚醒が続いていて、胃腸の調子もとても悪かったのです。

 妊娠する・しない、という懸念から自分を解き放って、完全にオフにしたい、と思いました。でも、生理周期初期のFSH(卵胞刺激ホルモン)値は知っておきたい、と思ったので、D3にクリニックへ行ってきました。

 6/15(火) D3

 自宅でプラノバールのことを検索している時に、ピル(合成ホルモン)を服用するとFSHが上がる、という書き込みを見つけました。自分でホルモンを出す必要がないと卵巣がサボり気味になり、FSHが上昇する、ということなのです(真偽の程は分かりません)。

 カウフマン療法でプラノバールを服用をした後、FSHがガッツリ上がったことがありました。なんとなーく、私の場合を言い当てているような気がして…。もしかすると、今回もカウフマン後と同じようなFSH値になるのでは、と予測しつつ、血液検査を受けました。

 案の定……。FSH:25.6(LH5.2、E2:48.2)。
 こりゃー、きっと採卵をしたところで、また空胞になる可能性大…[ふらふら]。なんの未練もなく休み周期に入れるというものです[たらーっ(汗)]

 今回は休みにします、と先生に申し出ました。基礎体温はどうしますか?と聞かれ、一応バロメーター的に測っておこうかと思います、と答えたところ、3週間経っても体温が上がらなければ電話してください、と言われました。無排卵で生理がこなかった場合、次の周期に差し支えるから、ということです。

 念のため、ネットで見た合成ホルモンとFSH値上昇のことを先生に聞いてみました。探して見ればそういう論文があるかもしれないけれど…、と、特に否定も肯定もされませんでした。黄体ホルモンを補充する薬(ピル)の違い、というものを知らなかったのですが、合成黄体ホルモンと自然の黄体ホルモンでは組成が異なるそうなのです。血液検査でプラノバール分の黄体ホルモンが検出されない、というのは組成の違いが理由ということでした。

・合成:プラノバール、デュファストン、ルトラールなど
・自然と同じ組成:プロゲ膣座薬、注射 

 完全に休みにする、と決めたはずなのに、ものすごく高値になったFSHが気になりました。どうして私のFSHはこうも高いんだろう?? 今回はプラノバール後だからだとしても、基本的にいつも2桁です。体調も整えたいけど、卵巣の衰えもどうにかしないといけないのでは、と焦りを感じました。

 10階のラウンジに置いてあるノートに、DHEAというサプリメントを服用してFSHが下がった、という書き込みがあったのを思い出しました[ひらめき]。しかし、ドラッグストアを探しても置いていません。ネットで売られているものはアメリカからの個人輸入商品。DHEAは副腎でつくられるステロイド系ホルモンで、体組成と同じ成分になるため日本では未認可のサプリなんだそうです。

 ノートに書き込みをした人達はキネマで購入したの?と思い、クリニックに問い合わせてみました。すると、DHEAに関しては診察を受けて先生から直接聞いて下さい、とのことだったので、休み周期にもかかわらず予約を取りクリニックに行ってしまいました。

 6/22(火) D10

 1時間くらい待って診察室へ。
 心なしか、DHEAのことはあまり積極的に話したくないような雰囲気を感じました。DHEAはあくまでサプリメントだ、ということ。飲めば効く、という形で処方すると薬事法に関わるので、あくまで「自己責任」で、副作用なども理解した上で個々が求めるなら、ということでクリニックに置いてあるのだそうです。

 アメリカではアンチエイジングのためDHEAのサプリが広く服用されているそうです。卵巣機能が衰え、卵子の回収率がよくなかった人達が、ある時からぐっと回収率がよくなったという事例があったのだそうです。その人達に共通していたのは「DHEAの服用開始」。この5~6年の間で不妊治療とDHEAとの関係がよく取りざたされるようになり、回収する卵子の数を増やす、という点では一定の効果が得られることが分かっているそうです。

 そんなことが書かれている、2005年日本IVF研究会のレポートまで頂いてしまいました。DHEAは性ホルモンの前駆体、とWEBにはあるのですが、男性ホルモンの一種、なのだそうです。それがどういう仕組みでFSHと関係してくるのか、というのは、レポートを読んでも私にはよく分かりませんでした[あせあせ(飛び散る汗)]

 現時点で男性ホルモンがどれくらいあるのかを知っておくために、診察後血液検査をしました。十分な男性ホルモンがでていれば、DHEAを服用する必要はない、ということになるので…。ちなみに、男性ホルモン過剰になるので、移植後はDHEAの服用はストップするそうです。

 採血をしている時に、看護師さんからDHEAの服用について説明がありました。量は1日3回、1錠を3食後に服用。ただし副作用として、ニキビがでやすくなる、体毛が濃くなる、といったことがあるので、気になるなら量は加減してください、とのこと。1錠25㎎が90錠入っているので、30日分の量を頂きました。¥3,300です。

SN364114.JPG

 
 ということで、治療を休みつつDHEAサプリを服用しています。1日3回、と言われていたけど、昼間飲むのが煩わしいので勝手に2回にしています[たらーっ(汗)]。今のところ特に目立った副作用はありません。

 ネットを検索すると、DHEAに関しては警戒するような記事が多かったように思います。
 気になったのは、副腎ホルモンは油性(ステロイド系)で、コレステロールをベースにしていること、また抗ストレスホルモンは副腎から分泌されているということ。ということは、ストレスが多いとコレステロールを多く消費する、ということなのか??、私、血液検査をするとコレステロールがいつも基準値よりずっと低い数値ででてくるんです(特に痩せ型、というわけではないです)。つまり、ストレスのせいでコレステロールをたくさん消費している、ということでは…? それがFSHとも関係していたりして…、などと、休みなのに余計なことを考えてしまっています[ふらふら]

 DHEAの作用が現れてくるのは服用して3~4ヶ月後、みたいです。良い方向に作用してくれることを願って、気長に服用したいと思います。


[サッカー]ワールドカップ[サッカー]

 日本チームの活躍で、世間がぐっと盛り上がってくれて本当に良かったデス。。。
 アフリカでワールドカップが開催できるということが、夢のよう、というか、素晴らしいな~と思います。

 地図で見ると、南アフリカの東の内陸部分がぽっかりと別の国になっています。お気づきでしたでしょうか。

Lesotho.jpg


 なんつー国だったっけな~、と思い、Wikipediaで調べてみました。(上記画像もWikのものをレタッチ)

 レソトという国でした。四方を南アフリカ共和国に囲まれている、非常に険しい山地にある国です。Wikiの記事を読んでいて非常に気になったのは、レソト国民の平均寿命が35歳、ということです。1990年代からHIV感染者が増加し、65歳だった平均寿命が現在35歳になっている、というのです。たとえアフリカであっても、35才と言えば働き盛り、子育て盛りに違いありません。その年代が社会の中で一番多く亡くなってるって、大丈夫? 親をなくして、子ども達はどうなるの? というか、国の存続はどうなるの?? 私と同世代の人が多く亡くなっている、ということで、他人事に思えませんでした。

 アフリカの人達のことを思いつつ、ワールドカップの熱戦を楽しみたいと思います。 


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